山を越えたか

 お講づとめも大詰めとなった。今年も終りを迎えようとしている。門徒総代のお講づとめが終わったためか、一安心といったところか。やはり、総代さんに対しては色々な意味で気を遣ってしまうせいだろうか。
 お講づとめは真宗教団の根幹に関わる最も大切な法要である。費やす時間は年回忌法要と比べれば比較の対象にならないが、法要の持つ意味、質的なことを考えるととても重い法要である。くしかし、今そのことが失われつつある。私とて、先代、先々代等が築き上げてきた真宗の宗風がわずかに残されているためにお講勤めが行えることである。今度は私が道を切り開いていかなければ…。