今更ながら…

 赤羽地域教化センターとは何ぞやという事について改めて考えることがあった。広報部から、葬儀式を縁として現代における問題を炙り出し、真宗文徒としての生活、規範というものを見直し、そこへ原点回帰していくことを願って教化センターならではの取り組みを提起した。
 本来、広報部のみの問題ではなく、部を越えて課題に向き合うこと。そういう性質のものについてはセンター中枢の人が核となって教化施策を考えるところであろう。ところが、赤羽地域教化センターの持つ名称の意味が忘れ去られ、別院に人を寄せる教化活動に留まっているが現状だ。テストの点数で言うならば40点というところだ。(関わっている私としてはね。)我々の任期は残すところあと1年。残りの任期を全うしていく中で地域教化センターの目指すところ、理念を確認してそれに呼応した教化施策の実行に務めるようにすすめてもらいたい。
 中央教化センター起ちあげに関わっているものとして赤羽がモデルらしい仕事をしていかねば、「教化センター構想なんて…」という話になってしまう。此までの教化体制に問題点があったからこそ、センター構想の実現に踏み切ったのであろう。赤羽地域教化センターの名に恥じぬ取り組みを成しえていきたいものである。
 そして、まだまだ崇敬区域の方々に知られていない赤羽地域教化センターの発足と願い。今後更にさまざまな世代の交流を密にしていきたいものだ。